A 音に就いて思ひ出す。私の長兄は、そ(💌)の(🎋)ころ東京の(🏮)大(♓)學にゐたが、暑中休暇になつ(➖)て歸郷する度毎(💵)に、音樂や文學な(🏛)どのあたらしい趣味(🌬)を田舍へ(✳)ひ(🚜)ろめた(🥀)。長兄は(😏)劇を勉強してゐた。或る郷土の雜誌に(👓)發表した「奪ひ合ひ」といふ(🥔)一幕物は、村の若い人たちの間(🥜)で評(🚹)判だつ(🗻)た(🦊)。それを仕上げたとき(🎇)、長兄は數多くの(🚒)弟や妹たちにも讀んで聞かせた(💻)。皆、(🏝)判ら(📥)ない判らない、と(🍑)言つて(🆗)聞い(📠)てゐたが、(🍹)私に(😟)は判つた。幕切の、く(😡)ら(🌋)い晩(🕰)だ(🍙)なあ、と(📥)いふ一言に含ま(🧝)れた(📯)詩をさへ(🍰)理(🌓)解できた。私はそれに「奪ひ(📵)合(❓)ひ」でなく「あざみ草」と(😶)言ふ(⏸)題をつ(💐)け(⛲)るべきだと考へたので、あとで、兄の書き損じた原稿用紙の隅(🌜)へ、そ(🥝)の私(🛳)の意(✏)見を小さく書いて置いた。兄は多(🎃)分(🚌)それ(🐙)に氣(🧢)が附かなか(📚)つたのであらう(😜)、題名をかへるこ(🦏)となくその儘發(😮)表して了つた(🏘)。レ(🎫)コオドも(🙈)かなり集めて(🙆)ゐ(💱)た。私の父は、(🅰)うち(🔧)で何(📨)か饗應があると(✖)必(🍧)ず(🚹)、遠い大き(🕳)なまち(🐈)からはるば(🐐)る藝(🎤)者(🎖)を呼んで(🈲)、私も五つ六(🍿)つの頃(🤽)から、そん(🗡)な藝者たちに抱か(🕖)れ(🦎)たりした記憶(❣)があ(🚈)つて(🍲)、(🏷)「むかしむかしそのむかし」(🏋)だの「あれ(🦊)は紀のくにみかんぶね」だのの唄(🧥)や踊りを覺えてゐる(⛅)の(🖖)である(🍨)。さういふことか(🏘)ら、私は兄の(😲)レコオドの(🌦)洋樂よりも邦樂(🦊)の方(🤭)に早(📚)くな(🛴)じん(🥥)だ。ある夜、私が寢てゐると(📕)、兄の部屋(🌴)から(🎶)いい(🔻)音(😣)ねが漏れ(🔑)て來たので、枕か(🥐)ら頭をもたげて(🅿)耳をすました。あ(📧)くる日、(🚚)私は朝早く(🥟)起き兄の部(❣)屋へ行つて手當り次(👏)第あれこれとレコオドを掛けて(🍣)見た。そし(🦁)てたう(🕰)とう(🈵)私は見つ(🗡)け(😭)た。前夜、(🕸)私(🍗)を(✳)眠らせ(🌆)ぬ(🗄)ほど興奮さ(📫)せたその(👥)レコオドは、蘭蝶だ(💲)つた。